手紙や逸話に見る、有名武将の「LOVE」
メールもLINEもない戦国時代、戦国武将たちの手紙テクを大公開
「鬼」と言われた武将のほっこり愛事情
しかし、例外もあるのです。現時点では知る人ぞ知る、的な知名度かもしれませんが、女優の杏さんがスキだと公言している島津義弘。
秀吉の朝鮮出兵に従軍して活躍、現地で「鬼島津」と呼ばれました。
関ヶ原の戦いでも周囲を8万といわれる徳川軍の敵勢に取り囲まれながらも、300程度の兵で突破し無事に薩摩に帰国した島津義弘は、猛将だけでなく愛妻家としての顔も有名だというのですね。
3人目の正室・宰相殿に宛てた彼のラブレターがあるとされるのですが……公式な書簡集を実際にひもとくと、彼ですら、現代人を「オオッ」とさせる手合いの手紙は出てこないのです。
たとえば朝鮮に出兵する途上、立ち寄った壱岐から義弘が送った手紙(『薩藩先公貴翰』の156番の手紙)には、子どものことを気にしたり、砂の上に紙を広げてこの手紙を書いているというニークな一節は含まれているが、ラブレターというより熟年夫婦の手紙って感じです。
秀吉のように愛情を直に伝えるフレーズは出てこないんですねぇ。
「其のちおとつれなく、心もとなふこそ候へ」
(宰相殿の返事が来ないから、私は大変心配している)
程度のおくゆかしい表現で、愛妻の身体を案じることがある程度なのでした(前掲書「162」)。
男女の関係がおくゆかしすぎる一方で、男色は別枠……というか、わりとおおっぴらにしてよかった観がありますが、それについてはまた機会をあらためてお話しましょう。
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